【橋り続けてプレストレス】第1回 負けず嫌いがプレストレス(その2)
負けず嫌いで理系に転向(以降、理転と記します)した私は、無事に高校3年生に進級することができました。
当時、私たちの高校は、1学年に500名弱の生徒が在籍していました。
2年生までは、試験の結果も、学年の半分より上位の成績を収めていましたが、
3年生になって理転してからの成績は目を見張るほどの低空飛行でした。
500名の生徒のうち、450番以降は、”死後の世界”と呼ばれ超カリスマ落ちこぼれのレッテルを貼られるのですが、
私も見事に死後の世界、それも、とことんカリスマレベルの仲間入りを果たしました。
勉強では全くパッとしないものの、楽しい高校3年生はあっという間に過ぎていき、年は1990年を迎えて1月のセンター試験がやってきました。
センター試験。
受験生の前に立ちはだかる5教科800点満点で争われる仁義なき戦い。
1月の寒さ凍える2日間の試験が終わると、みんな学校に集まって自己採点をして2次試験でどこの大学を受験するかの判断を下します。
各自、自己採点が終わると、周りのみんなが何点取ったかの情報交換が始まります。
クラスの前方では、「700点超えたすげー!」などと、実力以上?の点数に喝采があがります。
私の周りでも笑いが起きました。
センター試験の数学は、2科目に分かれていて数学Ⅰと数学Ⅱは、それぞれが100点満点で、合計200点の配点です。
理系のみなさんは、中には200点満点、悪くても180点くらいが標準のようですが、
私は何と合計で、あろうことか77点。数学Ⅰ55点、数学Ⅱは22点。
理系のクラスでもダントツの最低点。
低空飛行どころか、完全に墜落状態です。
ある意味とびぬけた点数に回りから笑いが起こったのも無理もありません。
理系はダメダメの私ですが、決して言い訳するつもりはありませんが、国語は200点満点の189点。
文系の学校なら何とか合格できたかもしれないと、理転をしたことをくやみつつ、めでたく来年度の予備校生活が決定した瞬間でした。
私が通っていた高校は、あまり、がつがつ勉強する生徒がいないため、周りから4年生高校と呼ばれていました。
周囲の評判とは恐ろしく良く当たるもので、私の周りのみんなも、私と同様、4月から予備校に通うことになりました。
さて、世間では暗いイメージがある予備校ですが、実際は、色々な高校から面白い人間がたくさん集まってきます。
強烈すぎる個性がぶつかる予備校は、あまりに楽しい毎日のため勉強することを忘れてしまうくらいでした。
理系なのに数学が苦手な私は、勉強しても点数があがらないので、やる気をなくし、ますます予備校生活を謳歌してしまったのでした。
理系の大学に入ってなんとしても土木屋の親父に認められたいと、理想と現実の狭間でやる気をなくした私が、やっと大学に入学できたのは3年後、なんと21歳。4年生高校を更に2年も多く通ってしまいました。
まさに、「高校院卒」、ボンクラのカリスマの様な存在でした。
なんとか大学の土木系学科に入学した私ですが、残念ながら、というか当たり前ですが、90名のクラスで最も年寄りでした。
人生経験豊富な、クラスの長老の元には、テスト前に同級生が沢山、集まってきました。
何か過去問情報を掴んでいると思っていたのかもしれません。
クラスの同級生と同じ部屋で一緒に勉強をしていると、テスト勉強が早く終わるやつと遅いやつに分かれることが判明しました。特に数学などの理系の科目でその差が顕著でした。
なぜだろう?と勉強のやり方をみてみると、時間がかかる連中は、数学の公式を一から自力で解いて導いていました。一方、私も含め、早く勉強が終わる連中は、数学の公式を書いて丸暗記していました。
ところが、実際、テストになると、一から公式を導いていた連中は、過去問と異なるちょっとひねった問題でも対応して良い点数を取り、丸暗記軍団は、ひねりに全く対応できず、ギリギリの点数をもらっていたのです。
この違いに気づいた瞬間、私は、雷に打たれたような衝撃を受けました。
「これだ!」と。
昔から私は、算数の試験では公式を丸暗記し、暗記した公式を思い出しながら出された問題にあてはめて解答していました。
しかし、数学が得意な連中は公式を自力で導くことで、その成り立ちが分かっている、すなわち根本が理解できていることに気づいたのです。
私は、とても清々しい気持ちでした。
「オレもこんなやり方をすれば良いのだ。」と。
その後、私も自分の勉強方法を変更して、公式を導くことにしました。
それ以降、私は数学が得意になり、なんと優の成績をもらうまでに成長したのです。
高校時代に気づいていれば、もっと違った人生を送っていたかもしれません。w
次回、感動のその3、「PC橋の仕事に就きたい!」に続く。
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