国を守り続ける軍艦

「軍艦防波堤」をご存じだろうか。軍艦島(長崎市端島)のように軍艦のかたちにみえることから軍艦防波堤と呼ばれている訳ではない。旧日本海軍の艦船として実戦を戦い抜き、戦後に全国各地の港を守るべく防波堤として沈められた、まさに軍艦を転用して造られた防波堤である。

この北九州市若松区に遺る軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)には、姿が残るこの駆逐艦「柳(やなぎ)」の他、駆逐艦「凉月(すずつき)」、駆逐艦「冬月」の二隻が沈められている。

柳は、桃型二等駆逐艦(排水量755トン、長さ88.4m、定員109名)として、大正六(1917)年に佐世保海軍工廠で竣工、第一次世界大戦では、連合軍輸送船団の護衛としてドイツ軍の猛攻に抑え、イギリス国王から勲章が授与されている。また、フランス船「ラ・ロアール号」から435名の乗組員を救助するなど、命を守ることに生涯をかけた軍艦であったといわれている。昭和十五(1940)年に佐世保海兵団の練習艦となり、戦後、解体されて軍艦防波堤となっている。

「凉月」は、昭和十七(1942)年竣工、「冬月」は、昭和十九(1944)年竣工のいずれも秋月型超大型防空駆逐艦で、昭和二〇(1945)年4月6日に戦艦「大和(やまと)」の直衛艦として沖縄水上特攻に参加し、奇跡の生還を果たした。

我が国の国民のみならず、世界の海で命を守った3隻が、戦後復興の拠点となる北九州の臨海工業地帯を守る使命を与えられたことは、戦後を象徴するものである。その生涯を学ぶにつれ、この防波堤への思い入れが強くなり、この写真を撮影した際には、こみ上げるものを抑えきれなかったことを記憶している。響灘の埋立により防波堤としての役割は終えたが、軍艦防波堤として市民の憩いの場となっている。

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