第1回「原爆に耐えた橋」

巷では「世界遺産」や「世界遺産検定」が人気を博していますが、

このコーナーでは、出張の合間(いえ、すべて仕事です)に見た「土木遺産」を独自の視点で紹介します。
紹介する土木遺産は,土木学会が「土木学会選奨土木遺産」として認定しているものです。

http://committees.jsce.or.jp/heritage/

第1回「原爆に耐えた橋」

立派な鷲のモニュメントが親柱に付けられた橋です。

■親柱に取り付けられている鷲のモニュメント

広島駅から徒歩3分のところにありますが,市電が通る大通りからは一本はずれた位置にあり,車や人の通りは,まばらです。
猿猴橋(えんこうばし)は,毛利輝元が広島城の築城を始めた1589年に木橋として架けられ,1926年(大正15年)に現在のコンクリート橋となりました。

当時は,花崗岩や電飾などの豪華な装飾が施されていましたが,戦時下の金属回収令により金属の装飾品はすべて供出されたそうです。
1945年(昭和20年)の原子爆弾投下のときには,爆心地から1,820mの距離にあり,橋の一部が破損したものの,構造的な被害は小さく,被災者の避難や救援活動に使われたそうです。
2015年(平成27年)には,原爆投下から70年を機に,橋の復元の声が高まり,今日見るような姿に復元されました。「土木学会選奨土木遺産」には,プレートが付けられます。
ここでは右岸側のほとりにありました。残念ながら夜の姿は見ることはできませんでしたが,街灯が灯ると,昼とは違った姿になることでしょう。
「被爆に耐えた装飾的橋梁」として,この猿猴橋と,京橋(1927年(昭和2年))が土木遺産に登録されています。
なお,被爆橋梁は,これらをはじめ,市内に6橋あるようです。後世に引き継いでいかなければならない,重要な橋です。


■京橋


■土木学会選奨土木遺産のプレート

■所在地情報
猿猴橋:34.394775, 132.474773

京橋:34.394201, 132.469976

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