【九之助橋】きたのう貯めて、きれいに使う
きたのう貯めて、きれいに使う(汚く貯めて、綺麗に使う)というのは、大阪の寄付文化を現した代表的な文句である。
がめつい、汚いと言われようが、それが商売なのだから、無駄を省き、きっちり、がっつりと儲けなさい。
そして、広く社会のお役に立てることには糸目をつけず使ってしまいなさい。
こういった文化である。
私もよく「入る金には厳しくあれ、出る金は惜しむな」と教育されたものである。
おかげ様で、今も貧乏である。
ドボクではないが、通天閣も、大阪城も、市民の寄付で完成しているので、通天閣がタワマンより低かろうが、大阪城が鉄筋コンクリートであろうが、エレベータが不自然であろうが、そんなことは構わない。
「みんなのもん」なのだから、それでいいのである。
さてさて、ドボクなお話。
江戸の頃は八百八橋と言われた橋の数々も、ほとんどが町橋であったのは有名な話。
商売に励み、その金で通行人のために架ける。
商売のためであれど、きたのう貯めて、きれいに使(つこ)うた、ということである。
町橋だからこそかもしれないが、橋名のくわしい由来はわからないということが多くある。
きっと九之助さんという方が架けられたのであろうが、九之助橋の由来もはっきりしていない。
現在の九之助橋は大正15年に架けられたものであるが、初代は東横堀が開削されたころからかかっていたらしい。
東横堀は南北に通されており、九之助橋の西側には住友家の銅吹所、鋳物、鍛冶屋など、金属を扱う家が多く、東側には瓦屋が多くあった。
今でもその町名を瓦屋町という。
この金物屋さんや瓦屋さんの中に九之助さんが居たのかもしれない。
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