【橋り続けてプレストレス】第1回 負けず嫌いがプレストレス(その1)

私は、プレストレストコンクリートを職業にすることを選択しました。
プレストレスコンクリートとは、コンクリートの弱点を補強して用いる技術の総称です。
私は、理系の大学の土木コースの授業で、その技術の概要を学びました。
ツタドボラジオでもお話ししましたが、私は、もともと私立文系の人間です。
その私が、なぜ理系の大学を選び、プレストレストコンクリートを用いた橋梁の仕事に就いたのか?
理由を話すとちょっとお時間を頂くこととなります。

1988年冬。世の中が昭和から平成へ変わるまさにその時。当時高校2年生だった私。
「うちは理系の家系だから。。。」親父の放った一言が、その後の私の人生をものの見事に変えました。

当時の私は、高校の文系コースから、東京の某バンカラ系の私立文系大学に入学し、そのまま商社か何か文系っぽい職業に就職するもの、と漠然と考えていました。
私は、昔から負けず嫌いで、高校へ入学する際にも、親父は自らが卒業した高校へ行けと推薦したのですが、ものの見事にそれを退け、校区で最も人気があるバンカラ高校へ入学した「前科」がありました。
高校2年の私は、文系のクラスに在籍しており、クラスの大半がそのまま進級して、私立文系コースを選択する流れになっていました。当時、私は、文系科目の成績にはちょっと自信があり、前述のバンカラ系大学を対象とした模試でもA判定をいただいていました。だいぶ昔の話なので、断言できませんが、たぶんA判定だったと思います。w

その矢先の、親父からの先制パンチでした。
人様に誇れる家系などありゃしないのですが、先祖代々と言われると持ち前の負けず嫌いが発動しました。「分かった。理系に転向する。」親父に言い放つと、私は、すぐさま担任だったE先生に、その内容を告げました。
「何をバカなことを。悪いことは言わないからやめておけ。」E先生は、親心で私の理転を阻止してくれました。しかし、親父に理転すると言い放った以上、後には引き返せません。

1989年冬。昭和天皇が崩御され、世の中が平成になったその年、高校3年生になった私は、めでたく国立理系コースに理転を果たしました。
その当時の私は、軽はずみな私の負けず嫌いの性質のために、いばらの道が待っていることも知らず、楽しい高校生活を謳歌していました。

次回、その2に続く。

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