第2回 そもそも「橋守」ってニャンニャンだ!?

 あけましておめでとうございます。本年もマイペースに投稿していきます♪
さて、年明け1発目からニャンニャン としつこいタイトルですが・・・今回は「橋守」の紹介です。
ツタドボコラムを愛読されている方々が色んな意味で一般的かは分かりませんが、、、初めてお会いした非土木な方に「しゅうニャン橋守隊」の話をするとき、初めに「そもそも橋守って何?」と質問されることがあります。先ずは読み方。「はしもり」と読みますが、「はしまもり」や「キョウシュ」と読まれたりすることもありますが、
「“はしもり”です」と笑顔で返して心で泣いています(笑)
橋守は昔からあった土木インフラをメンテナンスする専門職種です。橋の修理は今も昔もお金がかかるので、橋のたもとに橋守を配置し、通行料をとりはじめたのが始まりといわれており、古今和歌集(900年代初め)にも「ちはやぶる 宇治の橋守 なれをしぞ あはれとは思ふ 年のへぬれば」という歌があるほどです。
ちはやぶる は枕詞ですが、意味の一例として、「宇治の橋守よ、長い年月を経てきたのでおまえのことを愛おしくおもう。」と橋が長持ちしているのは橋守のおかげで橋の老いと歌った本人の老いをかけた歌と言われています。

写真:宇治橋東詰めにある茶屋。平安時代末の永暦元年(1160年)創業で宇治橋の橋守としても歴史のある「通圓」

旧国鉄にも1960年代半ばまで橋の近くに代々家族で住み、橋の状態を毎日点検しながら劣化した箇所の保全を行う職種があり、各地の鉄道橋の維持管理を行っていました。

有名なものでは、兵庫県の北部にあった餘部鉄橋があります。この橋は1912(明治45)年に完成しましたが、日本海に面する厳しい環境のため、完成後3年目くらいから腐食がみられました。大正4年からペンキで補修が始まり、大正6年から塗料メーカーの2名の社員が国鉄社員となり、現地で専属で補修を続け、昭和38年まで6名の職員が管理を続けたそうです。2010(平成22)年まで約100年供用されました。

「橋」も「モノ」・「他人事」と考えると愛着もわきませんし、長持ちさせようと思わないかもしれません。でも、「人」・「自分事」に置き換えると、愛着がわいて大切にしようと思いませんか?「橋」は自分たちの生活を当たり前に支えるインフラです。泳げない私にとっては死活問題です。。。

きめ細やかな対応は、色々なものを長持ちさせます。それは、家族や友台、恋人にも当てはまります!?問題が大きくなる前に、きめ細やかに対応しましょう♪

さて、「しゅうニャン橋守隊」「橋守」について紹介できましたので、次回からは具体的な活動について話ができればと思います。

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