【難波橋】大阪人の「あ・うん」

この橋は昭和50年には大改修をされているが、大正4年に架けられた親柱や下部工の装飾は当時のものがきれいに遺されている。建設当時の力の入りようがよくわかる橋だ。
難波橋は平成20年の大阪市民が好きな橋ランキングでは1位となった。
昭和59年には淀屋橋が1位であったが、平成20年には5位に退いている。
僕はどちらが1位に居ても満足である。

「ライオン橋」として大阪人に親しまれている難波橋であるが、その名の通り親柱には阿吽のライオンが「俺を見ろ」と言わんばかりに鎮座している。
このライオン像はそれぞれの親柱に座っているので、もちろん4体である。
しかし、なんと和歌山の「がんこ和歌山六三園」に5体目のライオンがある。
六三園といえば、和歌山出身で、大阪の相場師として大活躍した松井伊助が築いた別荘である。
ライオン像は大正4年に架橋と同時に設置されたものであるが、彫刻家の天岡均一が原型を作り、石工の熊取谷力松によって彫られたものだ。
松井も天岡も家族ぐるみの付き合いであったようなので、故郷に錦を飾るべく、「もう一体」と力松の協力も得て作ってもらったのではなかろうか。

さて、現在の姿であるが、夜はライトアップも美しく、目の前には中之島バラ園と、
オフィス街にあるデートコースである。

ライオンはきっとこう言っている。

「撮ってもええんやで。」

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