【天満橋】義戦。

歴史と共にその地を語ることは多くあるのだが、江戸や明治期の話になりやすいものである。
たまには南北朝の頃と結んでみよう。

天満橋と天神橋の間は、平安時代から港として重要な地であり、四天王寺へ行くのにも、高野山や熊野詣へ行くのも、ここが起点となっていた。

現在、天満橋のすぐ下流に「小楠公義戦之跡」が置かれている。
南朝側につき、湊川の戦で戦死した大楠公(楠木正成)の息子、小楠公(楠木正行)がここで足利軍と戦ったのだ。
有名な「住吉浜の戦」である。
紀伊、河内、摂津と、足利軍(細川軍)を相手に連戦連勝の小楠公は、住吉浜の戦いにおいても細川、山名の軍を退けた。
この戦いで敗走した500余りの足利兵がこの辺りで溺れていたのだが、小楠公はこの足利兵を救助したのである。
真冬の戦いでもあったため、凍えるものには暖を、傷を負ったものには手当てを施し、衣服も馬を与え、送り返したのだ。
恩に感じた者の中には楠木軍に投降する者も多くあったという。

江戸の頃には八軒屋浜という京の伏見とを結ぶ三十石船の船着き場となり、淀川のターミナルとして栄え、多くの絵画や文芸作品にも登場した。
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にもここから上陸する場面があったりする。
現在は「川の駅はちけんや」として、水上バスや遊覧船の発着場になっている。
水陸両用の「ダックバス」というユニークな観光バスもあるので、乗ってみてはいかがだろうか。

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