【昭和橋】泥の河

この題、ここのコラムニストでは、編集長か松永さんはご存知かもしれない。
宮本輝の小説、泥の河の舞台になったのがこのあたりである。
舞台は戦後の昭和31年、泥の河は昭和橋の描写からスタートする。
泥の河の石碑が「湊橋」に置かれているが、湊橋・昭和橋・端建蔵橋に囲まれたあたりが舞台となる。

この泥の河という作品は何とも悲しくも苦しい、時には怒りにも似た悲しみが襲ってくる話である。昭和56年に映画化もされているので、ご存知の方もおられるのかもしれない。

さて、この昭和橋だが、戦争遺産とも呼ばれている。
西の橋門構には米軍が落とした焼夷弾の跡がべコリと残されているのだ。
若いころ、「あそこに何が当たったんだろう、トラックにしては変だな」と話していたことを思い出す。
筆者がこの辺りを通る折、橋のへこみと泥の河がリンクするからか、いつものように締まりのない顔ではなくなっているかもしれない。

また、写真からはわかりづらくて恐縮ではあるが、支間長69mもありながら、67度の斜橋である。
しかもこの辺りは軟弱な地盤であったことから、25m前後の松杭が1000本以上打ち込まれている。
昭和橋は昭和7年架設であるが、これに市電も通さなければならず、すぐ隣には卸売市場がある。交通量も多く見込まれる中、当時の設計や技術ではどれほどの苦労があったのだろうかと想像するが、大変なことであったのは間違いないだろう。
現在もこのすぐ西に中央卸売市場があり、朝は市場の寿司屋、そして辺りの橋を眺めながら歩くのも筆者の楽しみの一つである。

現在の外出のしにくい状況下、機会があればこの「泥の河」などいかがだろうか。
小説「泥の河」昭和53年 宮本輝
映画「泥の河」昭和56年 小栗康平

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