【長柄橋】雉も鳴かずば撃たれまい

阪神の震災時、この長柄橋がどうにか通行できた。
長柄橋がなければ、枚方大橋まで迂回しなければならないところであった。
そんな大活躍の長柄橋の昔話。

長柄橋は信頼に足りそうな一番古い資料によると、812年に初めて架けられたようである。
しかし、架ける度に流失してしまうような難工事であっため、地元の長者が話し合い、人柱を使って完成させようと決定した。
なんとも恐ろしい話である。
誰かを人柱に選ばなければならないのだ。
選任について話が進まない中、長者の一人である巖氏(いわじ)が
「決まらないのであれば、袴に横継ぎがある者にしたらいいじゃないか」
と言いだした。
袴に継ぎ当ての有るような、ダサい者がなればよい、というわけである。
しかし、そんなダサい者が居るのか?と皆が周囲を見回すと、ひとり居た。
なんと巖氏である。
巖氏は人柱にされてしまったのである。

そんな巖氏には光照前(てるひのまえ)という美しい娘があった。
父親が口の禍によって人柱になってしまったので、光照前はほとんど物を言わない娘に育った。
そんな光照前も交野郡禁野に嫁ぐのだが、あまりにも無口なために離縁されてしまう。
夫に送られ実家に戻される道中に一羽の雉が鳴き、夫に射られてしまう。
その時光照前が口を開き、
「ものいわじ父は長柄の人柱 鳴かずば雉も射られざらまじ」
と詠んだ。
「つい口にしてしまった言葉ゆえに父は長柄川の人柱にされてしまった。 雉子よ、お前も鳴かなければ射られることもなかっただろうに」
とても悲しい歌だが、口をきけるようになったこと、光照前の美しい声を喜んだ夫は、改めて仲よく暮らそうと禁野に帰ろうとする。
しかし、そのことから諸行無常を悟った光照前は出家してしまう。
まったく、夫にとっても諸行無常である。
木橋の脚部、橋軸の直角方向に「やらず」が設けられることがあるが、これを袴継ぎと呼ぶ。
もしかしたら、巖氏はこれを紹介しただけなのかもしれない。

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